2017年11月15日 No.2796
長岡東RC例会報告
司会 | 北村 敏雄さん |
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本日の出席 | 44名 |
出席率 | 73.33% |
会歌 | それでこそロータリー |
体操 | 親睦委員長 鈴木 一さん |
会長挨拶:吉井会長
こんにちは。
今週末の日曜日に、24人の申し込みを頂いておりますゴルフコンペを企画しておりましたが、最高気温が7℃で初雪も降る予報となってしまいましたので、中止延期ということになりました。
少し早い初雪となりそうですが、私的にはいよいよスキーシーズン到来かなという感じです。例年私はゴルフ場が通常営業している11月いっぱいまでで週末ゴルフ三昧の生活を終了し、12月は元気のいい群馬・埼玉などでゴルフ納めをし、1月・2月・3月は大体シーズン5回くらい毎年泊りがけでスキーに行っております。
最近はスキーにほとんど行っていない、行っても子供さんやお孫さんとちびっ子ゲレンデに行く程度という方が多いのではないかと思いますが、最近のスキーは極めて快適です。
先ず、ゴルフと同等以上に寒くないです。
スキーウェアやアンダーウェアの技術進歩により、むしろ15℃以下でゴルフをするより暑いです。吹雪でも、帽子だけでなく、ネックウォーマーや覆面や最新ゴーグルやサングラスのおかげで快適です。
-10℃の膝まであるパウダー斜面を、たとえ吹雪でも天国で滑っているように快適に滑れます。
また、リフト待ちはもうないです。ゴンドラやフード付き高速リフトで一気に山頂へ行けます。
長野オリンピックの頃は、リフト待ちはないものの山頂ゲレンデも若いボーダーで溢れ、滑り辛かったのですが、最近はボーダー仲間がいなくなったのか、スキーにかけるお金がないのか、ゲレンデまで来る4WDの車を持っていないのか、特に上越エリア以外の妙高や志賀高原にはボーダーも激減し、ゲレンデには人もほとんどいません。
また、スノーボーダーがコブを嫌うこともあってか、また整地雪上車の技術進歩もあって、その日の夕方から真夜中までゲレンデ整地作業がなされ、朝にはほぼ全てのゲレンデは平らとなり、コブは一切なく新雪パウダースノーを満喫できます。コブがないので、スキー操作を楽しめますし、ノンストップで滑ってもあまり息が切れず、腰も痛めません。
そして、カービングスキーですが、昔のスキーはご存知のように、エッジを立てて「くの字姿勢」で斜滑行して行き、ポールをついたことを切っ掛けに身体を谷側正面へ向けつつ立てていたエッジを外してスキーが重力で真下へ向くのを少し待ち、外側のスキーを外方へ押し込み回転して行くのが昔のスキーでしたが、カービングスキーは、身体をできるだけ傾けてスキー板も傾けてエッジングするだけで回転力が生じ切れ切れに曲がれます。
イメージとしては斜滑行からそのまま身体を、勇気を持って谷側へ傾ける・谷側へ身体を投げるようにすることで、身体に対して外側の双方のスキー板のエッジが雪面を押し、まだ回転する前からエッジを効かしながら回転して行きます。昔のスキーのようにエッジを外してだらだらと滑る間がなく、曲がり始めから山側へエッジを効かして押し付けるだけで曲がって行き、横滑りなど生じなく一気に切れ上がるように曲がり、曲がりすぎて山側へスキーが登り上がらないうちに、また再び谷側へ身体を投げるようにして谷側へ身体を傾けてスキーを外側へ押し付けるだけで曲がって行きます。身体の下でスキーが前後に動きながら、躍動感のある切れ切れの滑りが簡単にできるので、非常に爽快です。
コブのない平らで急峻なパウダースノーのロングゲレンデを、日差しを受けて一挙に滑り降りる爽快さは、ゴルフで言えばロングホールを完璧に3オンしてパーを取るような感じで、しかもOBもありませんし、体力が続く限りパーを続けて行ける感じです。
是非、来春までの体力づくりに「最近のスキー」も満喫してみてください。
以上です。
委員会報告:ロータリー財団委員会 加瀬 由紀子さん
今月はロータリー財団月間です。新保ガバナーの財団寄付目標額が150$です。
まだ不足しております。今月お一人5,000円目標で寄付を募っております。ご協力をよろしくお願いいたします。
ニコニコ情報:ニコニコ委員会 小林 成二さん
昨日、小林さんと焼肉屋でばったり会ってしまったので。
名古屋での会議に京都に泊まって、紅葉狩りを楽しんできました。ちょっと早かったです。
日曜日の朝、スマホに向かって「何か面白い事はないですか?」と聞きましたら「そういう人は危険です」メッセージがありました。気を付けます。
前回の昼例会、無断欠席してしまい、すみませんでした。週末、雪が少し降りそうです。車のタイヤ交換を早めにした方が良いと思います。和田さんが卓話でお話された通りですね。
離れて暮らしている女房が、白内障の手術をしました。うまくいって視力がアップしたそうです。良かった。
卓話:佐藤 賢治さん「学生服の歴史」
明治12年(1879年)、華族学校(現学習院大学)で初めて制定された詰襟型制服は、その後の明治19年の学校令にあわせて全国に広がりました。
大正時代になると安くて丈夫な木綿を使用した学生服が重宝され、綿花の産地であった岡山県の児島地区で盛んに生産されるようになりました。
130年経った現在でも児島地区を含む岡山県で全体の約7割が生産されています。
岡山県倉敷市児島エリアは瀬戸内海に面した穏やかな気候の土地です。山に囲まれた沿岸部であったため、土壌に塩分が含まれ、稲作に向かず、綿花の栽培が盛んになりました。
綿花の生産が盛んになるに合わせて、糸を作る製糸業や染色業も起こり、児島エリアは一大綿製品の産地となりました。
大正10年頃に更に綿製品の生産強化を図るため、外国からミシンを20台輸入し、「学生服」を製造するようになり、戦後の昭和38年頃をピークに圧倒的シェアを誇りました。(全国シェア90%)
その後は詰襟の減少や素材供給問題に伴い、ジーンズの生産に移行するメーカーも出始め、ジーンズの産地としても有名になりました。現在の制服メーカートップ3もこうして児島の地にあります。
<株式会社 丸 六>
明治5年(1872年)創業
昭和29年法人改組
平成29年現在創業145年
<菅公学生服株式会社>
安政元年(1854年)創業
昭和3年(1928年)商標「菅公」を取得
昭和4年(1929年)法人改組
平成29年現在163年